No.01 モン・サン・ミシェルとその湾〔フランス〕|週刊 世界遺産×富井義夫 - 最新ヨーロッパの人気世界遺産めぐり

No.01
2014年4月27日

〔フランス〕

モン・サン・ミシェルとその湾

Mont-Saint-Michel and its Bay

 「私はそれを見るともなしに見たのだった、それは霧の立ちこめた天空に聳える灰色の影だった」─そう記したのはモーパッサンだが、まさにそのようにモン・サン・ミシェルは唐突に姿を現わす。
 周囲に広がるのは、とうもろこし畑と羊がのんびりと草を食んでいるノルマンディの田舎町。しかしその先には、牧歌的な風景と対照的な、異様なシルエットが浮かんでいる。人間が創り出したものなのに、いつしか圧倒的な存在感を放つようになってしまった巨大な塊がそこにある。
 何度訪れても、モン・サン・ミシェルを最初に目にするこの瞬間は特別な心の高鳴りを感じてしまう。見る者の目を釘づけにするような不思議な魅力の源は何だろうか……そんなことを考えながらモン・サン・ミシェルに足を踏み入れると、遠目ではわからなかった建物の特異な部分が見えてくる。
 まず立地条件だが、平らな土地ではなく、小さな島のごつごつした岩山の頂を基盤にしている。そこに建物を築き、その上にさらに建物が建てられているのだ。そうやって何百年ものあいだ、倒壊の危険を孕みつつ─事実、何度か崩落している─営々と建物が築かれてきた結果、岩山に貼りつかんばかりの一大建造物ができ上がったのである。
 建物の内部も見ごたえがある。修道院、教会、地下礼拝堂、食堂、独房まであらゆるものがあって、それが狭い立地条件のなかにすこぶる機能的に配置されている。部屋を巡っていると、階段を降りたところにまたふっと次の間が現れるといった具合で、無駄なスペースがほとんど感じられない。
 そんな建物のなかで息抜きができる最高の場所は、最上層に造られた庭園と回廊だろう。そこでは緩やかにデザインされた美しい2列の円柱がこぢんまりとした緑のオアシスを取り囲んでいる。強固な岩盤で囲われた屋内とは別世界の開放的な回廊の雰囲気は、その昔、ここを訪れた巡礼の徒にも歓声をもって迎えられたに違いない。
 回廊の西側を行けば広々としたテラスに出られる。周囲を取り巻く海と砂州を一望できる絶好の展望台だ。モン・サン・ミシェルの守護聖人は戦いの大天使ミカエル(フランス語で「ミシェル」)だが、争いが頻発していた中世の時代、兵士や貴族、一般庶民は大天使ミカエルのもとへ競うように巡礼にやって来た。その旅の最後の難関が、このテラスから見渡せる海だった。人々は干潮を待って砂州の上を歩いて島まで渡ったが、時として急激に水位を増す海にさらわれてしまう巡礼者も少なくなく、「モン・サン・ミシェルに行くときは、罪を告解し、遺言を遺しておけ」とまでいわれたという。
 しかし、潮が引いているいま、遠浅の海は穏やかそのもの。浮き出た砂州が遥か彼方まで続いている。フランスの小学生の一群も引率者のあとを追って無邪気に砂洲を歩いている。そんなのどかな光景を見下ろしていると、本当にこんな遠浅の海が人を呑み込むのだろうかと訝しく思ってしまう。
 今回の旅では、潮の満ち引きの加減をこの目で見たくて、大潮の日に合わせてモン・サン・ミシェルを訪れていた。ところが、夕方の満潮時刻が近づいてもいっこうに水位は上がってこない。昼間、小学生たちが歩いていたときと同じで、相変わらずのんびりとした海には砂州が浮き出たままだ。時刻を間違えたのではと一抹の疑念を抱きながら、島内唯一の通りグラン・リュで時間をつぶしていたら、突然、波の音が聞こえてきた。慌てて島の入口に走ると、海の上に設けられた入場通路はすでに水没していて、城内の門の石畳の上にまでひたひたと海水が押し寄せているではないか。たしかに、これだけ短時間のうちに10mを超える干満差をもつ海水が押し寄せてきたら、砂州を歩いていた巡礼者はひとたまりもなかったはずだ。
 陽が落ちて人通りもまばらになったころ、モン・サン・ミシェルは周囲を海水に囲まれた完全な孤島に変わっていた。このときに初めてわかった。巡礼者の足元をすくい、身体を呑み込み、そしてまたなにごともなかったかのように落ち着き払って海に浮かぶのがモン・サン・ミシェルなのだということを。
 暗闇に包まれた島がライトアップの光に包まれる。ホテルへの帰り道、そんなモン・サン・ミシェルの姿を何度も振り返らずにはいられなかった。
富井義夫




アクセス:モン・サン・ミシェルとその湾〔フランス〕 【所在地】
フランス北西部、バス・ノルマンディ地方マンシュ県の、遠浅なモン・サン・ミシェル湾の海岸から約5kmの沖合にある「聖ミカエルの山」。修道院と要塞の融合した姿が、その歴史を物語っている。

【アクセス】
パリ・モンパルナス駅からTG(V新幹線)でレンヌまで約2時間15分、そこからバスで約1時間20分。またはレンヌから列車でポントルソンまで約1時間、さらにバスで約15分。