No.15 フィレンツェ歴史地区〔イタリア〕|週刊 世界遺産×富井義夫 - 最新ヨーロッパの人気世界遺産めぐり

No.15
2014年7月27日

〔イタリア〕

フィレンツェ歴史地区

Historic Centre of Florence

 フィレンツェという名は、古代ローマ帝国が支配下に置いた町を「フロレンティア(花の女神)」と呼んだことに始まる。そんな花の都が一気に開花したのは14〜15世紀。盤石な経済基盤や町を支配したメディチ家の庇護もあって、それまであり得なかったような文芸全般の新しい波が起こった。
 それが「文芸復興」といわれるルネサンス。ただ、残された作品を見ると「復興」というより、まったく新しい境地が開かれている。創作現場から見れば、それは激しさを伴った「創造」だったのだろう。当時のフィレンツェにどれほど荒々しい創造力が渦巻いていたのか。この街を歩けばその痕跡をたどることができる。
 フィレンツェの町は均一化された4、5階建てのアパートメントのような建物が多く、路地を歩いているだけでは、ヴァーミリオン(黄みがかった朱色)の瓦で埋め尽くされた街の光景を見ることはできない。その代わり道の先を見上げれば、建物と建物の間にフィレンツェのシンボルであるドゥオーモの朱色に輝くクーポラが顔を出している。
 「フィレンツェのドゥオーモ」といえばサンタ・マリア・デリ・フィオーレ大聖堂(花の聖母大聖堂)のドゥオーモを指す。この大聖堂をひと目みようと大勢の観光客がドゥオーモ」広場に集まってくる。1枚目の写真は夜の広場を撮影したものだが、複数の歴史的建造物が写っているのがわかるだろう。左端の白亜の建物はサン・ジョヴァンニ洗礼堂。フィレンツェに現存する最古の建物のひとつである。右手にそびえるのは「ジョットの鐘楼」の名で呼ばれるゴシック様式の塔だ。画家ジョットの設計で高さは84.7m。その間に顔を出しているのが大聖堂のドゥオーモである。この3つの建物がドゥオーモ広場にフィレンツェのシンボル的空間を生み出している。
 ドゥオーモの階段を登り切ってクーポラの頂上に出ると、ヴァーミリオンの屋根瓦で埋め尽くされたフィレンツェの町が360度のパノラマで広がっていた。わたしたちがここに着いたのはちょうど午後1時。街中の教会の鐘の音が重なり合うように鳴り響いてきて、一瞬、中世の時代のフィレンツェにいるようなタイムスリップ感覚を味わった。
 フィレンツェの街は直径わずか2.5km。クーポラから眺めれば小さな盆地の町だということがよくわかる。当時の人口は10万そこそこだったといわれている。そんなフィレンツェに、天賦の才をもつ人材、複数の強力なパトロン、潤沢な金、体制の安定などルネサンスに必要だったあらゆるものが集まった。しかも同時期に。奇跡ともいえる巡り合わせがルネサンスを現実のものにしたのだ。
 現代の街には、徒歩で回れる範囲に主な美術館や教会だけで50以上がひしめき合う。静かな闘争心に満ちたミケランジェロの傑作「ダビデ像」を有するアカデミア美術館、ボッティチェリの「ヴィーナスの誕生」を所蔵するウフィッツィ美術館、「五百人広間」の壁画の下にレオナルド・ダ・ビンチの幻の傑作が隠されていると発表して話題をさらったヴェッキオ宮殿など、見どころは目白押しである。
 フィレンツェ人は概してプライドが高く、排他的といわれる。あのダンテはフィレンツェ人を「嫉妬深く高慢な者たち」と酷評しているらしいし、フィレンツェ在住の日本人も似たような指摘をしているくらいだから、半分以上は当たっているのだろう。ただ、そんなメンタリティの裏返しとして研ぎ澄まされた自意識が生まれ、そこから激しい創造力が溢れ出てきたのかもしれない。
 フィレンツェの人や町は、一筋縄ではいかない研ぎ澄まされた感覚をもっているらしい。火傷をするかもしれないけれど、その本質にも触れてみたい。
富井義夫




アクセス:フィレンツェ歴史地区〔イタリア〕 【所在地】
イタリア中部、トスカーナ州フィレンツェ県に属し、トスカーナ州の州都。アルノ河畔に広がる街並みには、サンタ・マリア・デル・フィオーレ大聖堂やウフィツィ美術館、ヴェッキオ宮殿など、至る所にイタリア・ルネサンス文化が咲き誇った「花の都」の香りが満ちている。

【アクセス】
ローマ・テルミニ駅から特急列車で約1時間30分。またはミラノ中央駅から特急列車で約1時間45分。